実例① 両親が亡くなり一人自宅住まい(京都市)となった知的障害の兄
(56歳)を別世帯の妹が世話し、一年後に“自発的”関係者チームの
お陰でグループホームが見つかる。妹離婚 (ちいきの広場光学習会より) 詳細拙著参照
〇実例② 高齢知的障害の弟の場合ー親亡き後地域での暮らしの模索
* 実家(京都市)で弟60歳の時二人で暮らしていた姉が癌を発病、弟・姉と私兄(札幌)はどうしたか
札幌で暮らす兄は京での当事者弟の新居住場情報を得ることなく、姉の北大病院への急遽入院交渉了解をとる。弟は同時に兄と兄嫁・娘と一緒に札幌で住むことになる。弟の意思を充分聞かず、同意確認のみ行い兄は決めてしまう。
弟は京で育ち60歳で初の雪国 全く見ず知らずの札幌での暮らしが始まる。生まれてから20代までいろいろなトラブルを一緒に経験し暮らしてきた肉親としては兄弟二人きりになる。
* 暮らしの場が最大課題となる
兄とその妻・娘の生活も一変する。兄は 勤務先北海道大学での大型プロジェクト代表・研究・教育に加えて、姉の見舞いと 弟の日中作業所探しのため弟と一緒に市・区役所・関係事業所訪問が危急の仕事となる。
二週間後姉亡くなり、弟は兄家族と一緒に京で葬儀後札幌に戻る。きょうだい会で出会った兄の妻は 平日日中弟と二人きりになり、食事・洗濯・風呂・話相手・散歩相手・引っ越しに伴う書類処理等に追いまわされるー公的支援者はいない。
* 兄は妻に一緒に暮らすことを強い、妻の精神状況は極限に達する
兄は弟と10か所以上作業所・グループホーム(GH)・大規模施設さらにはホテル住まいを探すが、空き無し・不適断り・本人にあわず等が三ヶ月続く
* 札幌近郊静かな住宅街でグループホームがみつかり、生活が始まる
12月末に近傍の少人数GHが弟もOKで見つかり正月明けに生活用具テレビ等揃え入室する。隔週休日落ち着くまでは私と一緒に出かける。レストラン・プール・映画・雪まつり・体育館・旅行・北大散歩等。
* GH暮らし二年後、北大を退官し兄家族は京滋へ引っ越、弟はどうするかー
兄として何ができるかが課題となるー
定年退官一年前から兄・弟・GH職員と何度も相談する。その結果GHで生活するとの弟の意思で札幌GH暮らしが続く。以後定期的な電話交歓(兄より妻には長話し)、年三回のGH職員交えて兄弟温泉旅行、札幌で会い食事会等で互いの様子を伝えあい楽しむ。
* その数年後 突然の精神病院入院、 原因は
弟がGHの部屋のドアを壊し、理事長と本人とが話し合った時に部屋を飛び出す。結果としてGH近くの近代的な精神病院に入院。直後GH職員から兄へ連絡。
成年後見人の兄は 札幌へ行き、隔離室見学後GH職員・病院部長と本人交えて話し合
かって二三年若い時弟が利用し友人のいる滋賀のS青年寮の同意を得る。この時の話し合いには 長年相談等の支援をして頂いていた元中学特殊学級先生に同行して頂いた。 その後生活用品をそろえ、弟はそこで暮らし始めた。しかしその1ヶ月後、本人の意思表示なし・マンパワー不足の理由から 青年寮を断られる。
* 弟のGHでのせきを空けておいてもらったので 札幌のGHに戻ることができる
その後から現在(73歳)まで 兄と義理姉からの頻繁な電話・手紙・年賀状交換、年三回の旅行(京へも)等、誕生日や母(義理姉)の日のプレセント交換を毎年行い、明るくなってきている。平日は作業所・高齢者デイケアに通う。
しかし、今年2月に体の一部に痛みがあり、手術の可能性ありと職員から連絡がある。兄が札幌にいき弟・職員・医者と話し合い結果として手術必要なしとわかる。軽い認知症がでてきて、老齢化が始まっている?
9月兄が北海道へ行ったが会えず電話もできず、コロナに感染10日以上自室から出られなくなる。GH利用者6人のうち5人感染、支援職員の勤務も逼迫する。 2週間後回復したと連絡あり、弟と電話で無事日常の暮らしに戻ったと会話する。